昭和2年生まれの航海日誌

昭和2年生まれの航海日誌

昭和2年生まれの卯年、大阪で一人暮らし、飼い犬とグランドゴルフや散歩に出かける毎日(ブログ移転してきました)

2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ソ連 スパイ船拿捕のとき私は(4)

「 ラズエズノイ号」をじ実況見分して、こんな事が 判明した。 船橋内では操舵チエンが撃破され、右舷の 窓ガラスから正面の窓に向け斜めに、銃痕が 残されていた。猟銃の空薬きょうが2個認められた。 機関室内では,外板を打ち抜いた上,主機の 排気管を銃…

万哲さんに挑み(12)

札 9R しらかばステークス 万哲さん、、、、、 クリールパッション FORE 、、、、、、エーシンモアオバー 対戦結果 万哲さん 0 VS 5 FORE 暇駒 本命ではないか?本命1着固定で 京都、東京2回開催、50万以上が 2回ありましたね。 御存じでした…

ソ連スパイ船拿捕のとき私は(3)

星光を仰ぐどころうか、宗谷一帯は 濃い霧に包まれていた。 基地を出港し、「ふじ」の標識灯を目標に 航行を続けた。航海灯、船外に漏れる投火は すべて管制し、無灯火である。 地来別沖に到着し、昨日とほぼ同じ地点で 漂泊監視を始めた。 程なく、スパイ船…

ソ連スパイ船拿捕その時私は(2)

役所でオペレ‐ション会議を終えた船長と 帰船するのに同行した。 鉄道線路に沿うた道を通りながら、船長は こういうことを言った。 [工作船が一隻だけではないんだよ。支援船が いるに違いがない。それがどのような陽動作戦を とるかだ」 「 レーダーで工作…

ソ連スパイ船拿捕のとき私は

「稚内北防波堤ドーム」 今でこそ稚内を代表する風景のひとつになっている。 だが、昭和27年私が勤務していた頃、あの15m ばかりの高さのドームは、 まるで刑務所の塀に 見えた。 その岸壁に係留するのだが、夜になると電圧降下で 唯一の楽しみの読書が…

新米わしは古米でいい

店頭に新米が出始めている。 と言っても、ズラリ並んでいる 玄米販売店のことです。 3年前から朝食をパンから米飯に 切り替えていますが、一人者の食生活 にも変化にとみ、健康状態も頗る快調で あり、年の割にはよく食べるのが心配に なっています。 青米…

万哲さんに挑み(11)

札幌記念 万哲さん 、、、、、 ロジユニヴァース FORE 、、、、、 アーネストリー 昨日、2着では”月とスッポン” レパ°ードステークス 万哲さん 、、、、、 ビッグバン FORE 、、、、、 ソリタリーキング 暇駒 G1馬も出てきたが?

万哲さんに挑み(10)

マレーシアC 万哲さん、、、、、シルクアーネスト FORE 、、、、、クリスタルウイング ドローならばまだしも、どぼん!ドボン! では。 長岡ステークス 万哲さん、、、、、エーシンビーセルズ FORE 、、、、、リピアーモ 蝉しぐれ遠ざかる、新米、…

対ソ連戦が続いた真岡樺太(2)

そのなかでも、 妻の弟で中学生(小樽中学)が父親の傍で 射殺され、知人が真岡郵便電信局の乙女達で あったことは、悔しさだけで暮れ果てしまう。 真岡に初上陸出来たときでも、生け花は、 港外でそっと投げ入れた。 写真の神社、境内はまぎれもなく日本人…

対ソ連戦が続いた真岡樺太

<昭和40年撮影 真岡> 蝉しぐれも遠ざかり始めた。 毎年、このころになると、 決まって、あの悲劇を回想してしまう。 それは、 真岡で、移住者がソ連兵に殺戮され、 その後ではあるが私達は、ソ連スパイ船を 銃撃拿捕していいる。あとは 70歳を超える人…

サワラも釣った、鯨もみた(続き)

エンジンを止め、昼食をしていると、 目の前に,クジラが背を現した。 口も尻尾も見せてはいない。 ミンククジラだろうか? かなりしてから、沈み始めた。 そのとき、 あっちへいくと、太地だぞ! と、大声で叫んでやった。 皆が腹をかかえて笑った。

サワラも釣った鯨も見た

アゴ湾を出る頃からスピードアップをした。 快晴 微風 わずかに南東のウネリがあるだけである。 針路を三木埼に向けた。 プレジャーボート独特の軽快さで走り、エンジン音も 快調である。乗り心地満点。 尾鷲沖で、針路を反転した。 古和浦湾沖に達したとき…

熊野灘 夏のクルージング(2)

マリーナを一見するだけで[南十字星」をみつける ことができた。 其の夜はキャプテンとクルー3人で乾杯程度の ビールを飲んんで、航海計画を立て、[ヤマハボート」 への発注から引き渡しまでの経緯も聞いた。 私がクルーとして嬉しかったのは、メーンエン…

熊野灘 夏のクルージング

10,000トンの船長の夢は 遠い昔に破れ、官庁の船艇には 乗っていたこともある。 その時は、名古屋で陸上勤務を していた。 電話をとると、大西院長だった。 「医療法人 大西病院 松阪市」 「ボートを進水させたので、クルー にならないか」 お礼を言っ…

夏に想い出す校長先生

昭和17年秋、「B17空の要塞」が拿捕され 明野陸軍飛行学校に回送されてきた。 学校では、午後はその見学を予定して いた。 私は払下げ軍馬がくるので、どちらにすろか 思案し、家に帰ることにした。 近鉄「明野駅」から、こっそり各駅停車に 乗った。 …

敗戦の日に想う校長教頭先生 (2)

時局を鑑み、教頭はこう認識したと 思う。 「命存える若者達ではない。 ならば、少しでも正常に近い 訓育に努める」 当時としては、軍からの圧力も あって、たやすくできるものでは なかった。 それでも、 的確な方針を大胆に実施した。 故人になられている…

敗戦の日に想う校長教頭先生

開闢以来、初めて敗戦にまみれた 日本人にとっては、それは天地逆転の 思いをさせられた。 当時、海軍軍籍に入っていたが、学校で 勉学に励めばよい境遇であった。 尤も、月月火水木金金型の海員の 育成をされた。 そのような中でも一寸優雅なこともあって、…

万哲さんに挑み(9)

札幌クインステークス 万哲さん、、、、、ブラボーデイジー fore 、、、、、ヒカルアマランサス 7枠 見どころあり。 北九州記念 万哲さん、、、、、アポロドルチェ fore 、、、、、デグラーティア 8枠 サクラバクシンオー産駒 いかにも。

万哲さんに挑み(8)

”越後ステークス” 万哲さん、、、、コバノオーシャンズ foretop 、、、、マハーバリプラム 「夏ノ陣」で外堀を埋めておきたい。 暇駒 夕刻になると、信濃川口では、 もう涼しすぎるくらいだった、と 思う。

国旗,硫黄島の星条旗

優勝校各校旗 台風が日本海を北北東に通り抜け、 お盆らしい、ほんの涼しさにふれた。 甲子園の熱戦は今がたけなわである。 優勝校の各校旗を見ると、栄光に 輝き、中等、高校野球の選手権大会の 歴史を物語っている。 国旗、優勝旗に思いを致していると、 “…

現実になってきた心配

財源の裏付けもないのに、 児童手当、高校無償化そのうえ、 有料道路の無料化をマニフェストに 掲げて発足した。 政権さえ握ってしまえば、財源は 赤字国債であろうがそれでよし、 消費税という決めてもあるでは ないか、という傲慢さがあった。 凡そ政治理…

「サンデーモーニング」にモノ申す

優勝各校の校旗が立てられている前で、 四日市高校の事を想い出した。 すべての球児達が夢見る優勝旗を手に して、母校の「富田」に到着しても、 駅頭ではためかすことはしなっかた。 取るに足りないことではあるが、 何処かの国は、国際野球試合で日本に 勝…

埋もれている甲子園野球の歴史 (2)

<つたかずら> 境港では一年も勤務しない中に、神戸へ 転勤となった。 高速道路を下りて、浜甲子園へ向かうと 右手に大き球場をみた。 「おお、甲子園だ」 このとき、初めてその所在を知った。 浜甲子園―神戸の通勤は何時も球場の ”ツタカズラ”をみて通った…

埋もれている甲子園野球の歴史

NHKの”幻の甲子園” 戦時下の全国中等学校野球優勝大会の 歴史の一編をみて、 明日は甲子園に行くと決めた。 炎天下で無理かと思ったたが、 昭和17年出場の同年輩の方々が 健在で居られる事を知り、意を 強くした。 甲子園の土と雲を見るだけでよい。 8…

万哲さんに挑み(7)

関屋記念 万哲さん、、、、、タマモナイスプレイ foretop 、、、、、スピリタス 「タニノギムレツト]産駒に期待 甲子園、歴史を埋めつくした土と アルプスから、あの日の入道雲を 見てこよう。

万哲さんに挑み(7)

みなみ北海道ステークス 酷暑でヘタリ込んでいるわけにも いくまい。初秋の台風、競馬の 態勢もそこそこにはしておきたい。 万哲さん,、、、、デストラメンテ foretop 、、、、、エアジバング G�U馬4頭だけなら」

歯舞、色丹、国後、択捉から見ると日本(5)

顔を拭きながら玄関に着いた友 「暑いな、今年は」 「挨拶じゃなくて,本真もんだ」 と言いながら、部屋へ通した。 「いいところ へ行ってたそうだな」 「色丹はハンカチがいらなかったよ」 冷やしておいたビールを大ジョッキで 乾杯。 「色丹を”シャコタン”…

歯舞、色丹、国後、択捉から見ると日本(4)

釧路で抑留者を上陸させ、 稚内に向かった。 釧路には船艇が配属され、 引き取り業務は容易に実施 できる体制であった。 それと、 オホ―ツ海は流氷に閉ざされて いることをしりながら、ソ連は 何故、稚内の”ちとせ”を 業務担当に指定してきたので あろうかと…

歯舞、色丹、国後、択捉から見ると日本(3)

歯舞、色丹、国後、択捉から見ると日本(3)

帰船すると、抑留漁夫達は送り 込まれていたが、漁船は拿捕され たままであった。 ソ連も朝鮮も没収して、返還する ことはしなかった。 これは、船主にとっては致命的な 大打撃であるとともに、国家が 国民の財産を守ることができなかった 以外のなにもので…