昭和2年生まれの航海日誌

昭和2年生まれの航海日誌

昭和2年生まれの卯年、大阪で一人暮らし、飼い犬とグランドゴルフや散歩に出かける毎日(ブログ移転してきました)

2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

五寸釘寅吉 (2)

彼は言い続けた。 [寅さんの家の周りはぐるりと 警察官に取り囲まれた。 一方、 寅さんは仏壇の中に潜り込み 家人が仏前に供えたご飯を食べ、 お茶を飲んで、脱出の機会を 窺っていた。 そして、 百姓着をきて、田植え用の苗を 籠にいれ天秤棒で担いで家を…

五寸釘寅吉

五寸釘寅吉こと西川寅吉は、 隣村の実在の人物であった。 多気郡上御糸村、現在の明和町で 生まれ、晩年を過ごしている。 この地域は土地が肥沃で、松林があり、 旧陸軍明野飛行学校の東をとおり、 海岸にたっしている。 民情も豊かである。 あるとき。学友…

すさまじい拿捕 (9)

連絡船は宇野に静かに着いた。 瀬戸内海は渡ったが、もう一つ 越えなければならない 津軽の海がある。 宇野ー青森 疲れた体では気の遠くなる距離と時間。 どうなるものでもない。ゆっくり聞いていただきたい。 「ラ号拿捕事件」 「五寸釘の寅吉」を。

すさまじい拿捕 (7)

船は宇野向け走り続けており、 小槌島が左横手に並びかけていた。 備讃瀬戸に入る。この瀬戸をはじめて 航走したのは練習船であった。 船首で、寒さに震えながら見張りをしていたら、 老練な甲板長が 「合羽を着てみろよ」と言う。 合羽をきると外套よリ暖か…

すさまじい拿捕 (6)

稚内―高松に赴任した翌日、 桟橋におりて,自分の船を眺めていたら、 一人の乗組員が近づいてきた。 新任者に″高松案内”でもするのか、と思っていたら、 「この桟橋では紫雲丸のとき、多数の遺体を揚収しました」 と言う。 「揚収された小学生は、今にも話し…

すさまじい拿捕 (5)

列車は高松築港駅に到着した。 高松―門司―高知と▽線上をたどり、振り出しに戻っている。 6年の歳月が流れていた。 市内の片原町、兵庫町にも行きたかった。 そして、好きだった”瓦せんべい”を土産にしたかった。 でも、これからのうんざりする旅程を考える…

すさまじい拿捕 (4)

そうこうするうちに、 昭和38年、拿捕事件を抱える部署に 配置換えになりました。 そして高知ー稚内へ。 土讃線はディーゼル化して、日が浅かった頃でした。 車中では 久しぶりに郷里の方へ帰る妻と、再度勤務に嫌気が する私では思い違いがあったでしょう…

すさまじい拿捕(3)

重要業務は霞が関で検討し、適切なオーダーを 出先部署にします。 部署ではそれについて、綿密な実施計画を策定し、 船艇を行動させます。 今回された措置で ″武器の陸揚げ”は至当なものでした。 それは、漁業問題で 如何に正当で合法的に使用したとしても、…

すさまじい拿捕 (2)

拿捕された漁船が日本船名をペンキで塗りつぶされ、 その上にハングルで書き直し、貨物船に転用されているのを 数多く見た。 あるとき、そのような貨物船と接舷して、韓国人と 雑談していたときのことである。 「朝鮮はいいなぁー、造船所がなくても、いいか…

すさまじい拿捕

対馬北方の李ライン付近を巡視警戒していたときのことである。 一隻の漁船が韓国警備艇に追跡され、本船に接近してきた。 両船ともフルスピードである。 みるみるうちに100メートルのところにきて、漁船はエンジンストップ。 すると、警備艇から銃をてに…

李承晩ラインのこと (1)

“李承晩ライン”が出てきて、“イカ釣り”がまた遠のいた。 何しろ、対馬にイカを乗せ一口で、ほおばり込みそうな勢いですからね。 ″李承晩ライン”というのは、簡単にいいますと、 韓国大統領が1952年、領海から大きく日本海にはみ出して、 排他的水域を宣…

ひとり者の料理 (11)

一体どうなるものか。 歴史、経済、国際法などあらゆる分野の識者が政治を助け、 解決するのが基本方策です。 日韓併合からもう100年、日韓合計人口約1億8千万。 これにちなんで、私は、100年計画の下、1億8千万分の1責務を 果たしたいとおもいま…

ひとり者の料理 (10)

“民意の低い韓国の観光客”と、厳しい批評をすれば。 ”竹島が日本領土なら、日本は韓国の領土だ”。 こうなると、、もう、そら恐ろしくなってしまう。 厳原の歩いているとき、学童と会うと、挨拶をされた。 私達が、むかしサーベルを提げた駐在さんにした”おじ…

ひとり者の料理 (9)

船影が小さくなった地点をたどると、 針路を下関にとっていた。 あと少し航走すれば、換金できる商品の魚を、 容易に手に入らない外国タバコをよくれたものだ。 そのとき、ふと思い出したことがある。 北米航路に従事したことがある教官が、 夜道を波止場に…

ひとり者の料理(8)

最初の医院では骨折を確かめただけのようだった。 出てくるなり、 「先生、もう一軒」という、 「いいよ、判った」といった。 つぎの医院では、満足のいく治療であったのと、 時間的経過もあったので、痛みもやわらぎ、 晴々した表情にかわていた。 船につく…

ひとり者の料理 (7)

対馬の”剣先イカ”稚内の�<Xルメイカ”のことを話したかった。 ところうが、対馬の現況は韓国観光客と地元民のトラブルが多発している。 このような大きな問題は、私が言及すべきものでもなく、地元住民等の 声を聞き、正論を求め政治家解決すべきだと思いま…

ひとり者の料理 (6)

いま、黒潮が足摺岬、室戸岬、潮岬に接近しています。 カツオの大群も乗ってきているでしょう。 カツオ、楽しみです。 一本つりのカツオ、いいですね。 調理する時、キッチンで臭わない。 “アオリイカ”もいました。 これは刺身が一番のようです。 池波 正太…

ひとり者の料理(5)

英虞湾に続く西方には五か所湾がある。 やや離れた鳥羽に至る海域には、 三重ブランドの伊勢エビ,的矢カキが水揚げされる。 大王崎の近くにはシーズンになると、ブリもやってくる。 さて、キッチンに持ち込んだ魚介は、 先ずよく洗う。手も調理器具も食中毒…

ひとり者の料理 (4)

サザエは志摩のものが欲しかった。 韓国産、サザエに国境はない。 「つぼ焼き」の要領は、神島からきていた海女さんから 教えられた。 (三島由紀夫 ”潮騒”の舞台となった) 水から炊き始め、煮えたところで、 殻から、回しながら、みをとりだす。 み、 から…

ひとり者の料理 (3)

英虞湾、 横山からの景観はほんとうにすばらし。 (近鉄、鵜方駅から車で坂も楽々) 英虞湾を語るとき,“深谷水道”を抜きにはできない。 外海と湾内をつなぐ運河で、昭和の初期に開削されている。 目的は主産業の真珠の養殖のためだった。 海洋汚染、海上災害…

ひとり者の料理(2)

{ッバス」をみて、 即座にこれは{天然ハマチ}とわかった。 志摩半島の南部海湾では{ハマチ」の養殖が盛んでよくみていたし、 また、ペンションにいるとき、釣り客から伊勢湾港外でつれた 60センチ級の{ハマチ」をもらっていたからである。 {ハマチ}をまる…

ひとり者の料理

食品は、近くのスーパーで求めますが、 一寸したもの、欲しいものがあるときは, デパ地下や日本橋の黒門市場へ 足をのばします。 材料は、旬もの土地のものに気をつかいます。 4月に入ると,暖かい地方の畑では、野菜はトウが立ち、 店頭では,結球した白菜…

わじょう (3)

貴様、俺というと、 同期の桜。 かなり、以前にこんな記事を見た。 [同期の桜を唄わないことを条件に賛同する」 江田島,海兵出の同級会開催のこと。 唄えないはなぁ、梢に咲く、ならまだしも。 でも、そこはきっぱり決めた。 さすが。 [兵は神速を貴ぶ」 …

咲き誇っています。 小学校に入学した日のようです。 ラシャ の黒い服をきて、校長センセイの長ーい話を 聞いているとき 「皆と同じ服がえいわ」とおもった。 帰る途中で父にあった。 「えい服やのう」という 「うーうん] 不満であった。 次に進学すると生徒…

わじょう

4月が来ると想いだす。 入校式を終えると,父兄は帰ってしまった。 しばらくは会えないわけである。 寮に入戻り、自習室や寝室で、見回り品の整理をしていた。そこには、 北海道、小笠原諸島そして朝鮮半島から集まった新入生と2年生も いた。 あち、こち…

ボランティア

ボランティアは続けております。 新年度に入りましたが、学校、会社とことなり新顔が急に 増えたわけではありません。 掲示板を見ますと、4月誕生の人の名前が張り出されていました。 女性は大正うまれが多く、 男性は昭和がだだ一人。 同年輩の男性は居な…

4日間分まとめて

都合により、書くことができなかったので 4月2日 雑木林の散歩道(3) ”春雨{じゃ、濡れていこうぜ!” そんな風情のあるものではありません。尤も、今どきそのようなことを云うものなら、 「フィリング」に難ありと決めつけられるのが関の山。 古い蝙蝠傘…